貫禄の正体
貫禄は性格ではなく、積み上げた意思決定の数でできている。27歳で「貫禄がある」と言われた自分が、大学の廊下で手を震わせていた話。

意思決定の数が、人を変える。
先週、こんなことを言われた。
「27歳の時から、20代とは思えないくらい貫禄ありましたよ」
うれしい。本当にうれしい。でも、ちょっと引っかかる。貫禄って、なんだ。そもそも、どういうことだ。
20代のころ、仕事の場で「もう30歳は超えてると思ってました」と自然に言われたことがある。当時の私は25か26だったはずだ。初対面に近い相手に言われたので最初は少し焦った。老けて見えたのか、という方向で一瞬考えかけた。でも文脈を振り返ると、それは仕事の商談の場で、私の話を聞いてくれた後に出た言葉だった。老け顔の話ではなく、仕事ができそうに見えた、という評価なのだと気づいた。若く見られるよりも、よほどうれしい。そう思って、前向きに受け取ることにした。
でも、ちょっと待ってくれ。
私はもともと、かなりの緊張しいだ。大学時代、研究室で院生たちの前に立って発表したとき、終わった後に先輩から「手、震えてたけど大丈夫だった?」と言われた。ちゃんとバレていた。外から見れば言葉は出ていたかもしれないが、内側はずっと正直だった。心臓がうるさく、膝に力が入らず、指先が細かく震えていた。それでもどうにか言葉を絞り出して、発表を終えた。終わった瞬間の安堵感は、今でも覚えている。
そんな人間が、いつの間にか「貫禄がある」と言われるようになった。何が変わったのか。
あるとき、誰かにこんなことを言われた。「意思決定の数が人を変えるんですよ」という話だ。誰から聞いたのか、本で読んだのか、もう正確な出所は覚えていない。でも、その言葉だけがずっと残っている。
決めるということは、何かを背負うことだ。うまくいかなかったとき、それは自分の判断の結果だ。誰かのせいにできなくもないが、決めたのは自分だ、という事実はどこまでも追いかけてくる。決める機会がある場面で、確認を他人に委ねない。誰かが決めてくれるのを待つより、自分で決めて前に進む。この意識は、社会人になった最初の日から持っていた。怖くても、誰も代わりに決めてくれない。その「逃げ場のなさ」を自分で選び続けてきた結果、少しずつ何かが変わっていった。緊張が消えたわけではない。でも、緊張しながらでも動けるようになっていた。
こうした意思決定を「背負う」という感覚が、段階的に染み込んでいったのだと思う。最初は重くて怖いものが、やがて自分の一部になっていく。重さに体が慣れるのではなく、重さを受け入れる自分になっていく。それが外側から「貫禄」と見えているのだとしたら、腑に落ちる。
ここで少し寄り道をして、「貫禄」という言葉の語源を調べてみた。「貫」とはもともと土地や財産の価値を示す単位で、「禄」は俸給のことを指す。貫禄という言葉はつまり、「自分が背負っているものの重さ」を表している。地位でもなく、外見でもない。積み重ねてきた責任の総量のことだ。これを知ったとき、「意思決定の数」とまったく同じことを言っているじゃないか、と思った。時代も出所も違うのに、たどり着いた場所が同じだった。
貫禄は、性格ではない。もともと落ち着いている人だから貫禄がある、というのは表面だけを見ている。度胸がある、オーラがある、という話とも違う。決めて、背負って、また決める。その繰り返しの数でできているものだ。
だから今、仕事の場で緊張している人に伝えたい。手が震えているのは弱さではない。まだ積み上げの途中にいる、ということだ。貫禄は、訓練できる。27歳で貫禄があると言われたかつての私も、大学の廊下で指先を震わせていた人間だ。でも、決め続けた。世界に20万人の社員がいるグローバル企業を離れ、5人目の社員として小さな会社に入ることを決めた。仕事の場で確認を委ねず、自分で判断することを選んだ。それは独立してから覚えたことではない。最初から、そうしようとしていた。
緊張しなくなったのではなく、緊張しても決められるようになった。それが貫禄の正体だと、私は思っている。
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